読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

第20回文学フリマ東京 レポート(2) メディアを楽しむ②

同人誌を頒布するサークルさんたちはなぜ趣向を凝らすのか。
文フリを歩いていると作品に更に意味を付与する活動に見えてきました。

その原動力は愛です。
それはこれまで紹介してきたサークルさん以外もそうだと思います。

しかしそれだけなのでしょうか。
同じエンジンを積みながら異なるものも駆動させているサークルさんもいます。
今回はそんな二つのサークルさんを紹介したいと思います。

4.本とTシャツとわたし

最初に目にご紹介するのはこちらのサークルさん。

 f:id:bunfreefukuoka:20150513223243j:plain

文学フリマは以下のように説明されることがあります。

自分が〈文学〉と信じるもの――自費出版の本はもちろんのこと、ホッチキスで綴じただけのコピー誌、フロッピーディスクやCD-ROM、果てはTシャツまで――を売るイベントです。

まさに、このサークルさんがTシャツを販売しています。
向かって右側の女性が手にしているのがそれです。
果たしてこのサークルは「Tシャツを販売している」のでしょうか。
実は書籍は無料で配布されています。一見おまけにも見えます。
向かって左側の女性が手にしている本がそれです。

f:id:bunfreefukuoka:20150513224911j:plain

他にも上のような作品も出品されています。
Tシャツのお店です。

……これらのTシャツはどのように文学なのでしょう。

事実の聞き取りはしませんでした。野暮なので。

ということで、ブースから勝手に解釈してみることにします。
このブースでは主格の転倒が起こっているに見えます。
つまり、メインであるはずの書籍ではなくTシャツが販売されているのです。

このとき、「<文学>を販売していない」と断じてしまうのは早計です。
僕たちは「おまけ付きのお菓子」を楽しむ子ども時代を過ごしてきました。

おまけというものはそれだけで心躍るものなのです。

むしろ、おまけこそが本体だと思えてしまうが現代社会の童心です。
書籍をおまけにすることで、それを読む前に心躍るものにすることができるのです。
では、Tシャツはその「書籍」という<文学>をおまけとして流通させるための「道具としての本体」なのでしょうか。
つまり、本体がTシャツではなく、お菓子やコップ、イラストでも良かったのでしょうか。
このサークルに限ってはそれではダメだったのだと考えた方が自然です。

それは「身につけるもの」だからです。
他人が書いた文章というものは最初は他人の言葉の集積です。
本に書いてある言葉をただ使っても物まねにしかなりません。
同じように時としておしゃれな服には「着られる」ことがあります。
ですが、どちらも次第に身体に馴染んでくるものです。

それは自分自身の本質ではないかもしれません。
しかし、むき出しの自分自身よりも自分自身を表現しているように見えることもあります。
着ぐるみを着てギターを弾いている女の子が、全く違和感なく受け入れられるように。
文学はTシャツのおまけになることで。
Tシャツは文学フリマにいることで。
それぞれがそれぞれの批評性を増すことができているのではないでしょうか。

5.仮綴じ本

表紙や作品の外側での遊びは一つの究極系へと向かいます。
それが仮綴じ本を頒布するサークルさんです。

f:id:bunfreefukuoka:20150512234431j:plain

このサークルさんではパブリックドメイン化した文学作品を仮綴じ本にしています。
この本はそのまま読むことも風情があって良いでしょう。
写真には写らない風合いがあります。
仮綴じですので、壊してしまうのではないかと不安になりますが。
そこで、実はこの本、製本してしまうこともできます。

f:id:bunfreefukuoka:20150512234810j:plain

写真の左側がまさにそれです。
仮綴じ本ですから、当然と言えば当然ですが、本当にできるのかと驚きました。
こちらも仮綴じ本とは全く違った相貌を見せてくれます。
2つを目にすると、本を読むときに意識されなかった「できあがるプロセス」に思いを馳せることもできます。

このサークルさんは自分で書いた本を売っていません。
しかし、批評本を売っているとも言えます。
「文学作品を考える際にメディアに目を向けよ」という主張です。
自分で書いていない文章であるからこそ、それ以外の自分の主張を排することができているのです。

カメラを持って遊歩していると、どの人たちに聞いても実に楽しそうに作品と展示の仕方について説明してくれます。
作家さんたちは、作品をどう届けるか、どう見せるかというプロセスで遊んでもいるのです。
ものを大量に生産する技術のお陰で同人誌が誰にでも簡単に作れるようになりました。
しかし、この技術は「メディアを作ること」を遊ぶ道も拓いたのです。
そして、この遊びは批評性を伴うことがあります。
(文責・副代表)