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クロノスとアイオーン、二つの時間があやなす出来事(第二回現代思想読書会予告)

読書会当日に使用するレジュメがようやく出来上がりました!現代思想読書会では、読書会を進行するために、テキストを要約したレジュメを用意しています。第1回の読書会では、レジュメを作成した人が要約した内容を発表していって、参加者はそれに別の解釈をあげたり、疑問点を突いたりして、内容を広げたり掘り下げたりしました。今回も似たような進行になるかと思います。

 

今回のテキストでは、創造性をめぐって「見えるもの・見えないもの」(テキストでは「現働的なもの・潜在的なもの」といわれています)という立場から詳しく検討されています。

 

ドゥルーズストア派の言葉を借りて、現働的なものに「クロノス」の名を、潜在的なものに「アイオーン」の名を当てています。どちらも時間の神様ですが、瞬間的な時間か、永遠的な時間か、という違いがあります。

 

瞬間的な時間は、つねに過ぎ去ってゆくような時間で、『徒然草』などの中世の文学作品に代表されるような、いわゆる無常として語られる時間の流れです。文学的には、現実は無常ゆえにまた嘆かわしくもあり、永遠を望みはすれど届くべくもないもの、として扱われることが多いのではないか思います。ドゥルーズ哲学の面白いところは、永遠こそ現実的なものと見なして、常にそこに至るための思考線を張っているところかもしれません。

 

──── はたして現実は無常なのか?永遠なのか?

 

テキストを読むと、そこを見極めるポイントは「出来事」にあるようでした。

 

南方熊楠は「心」(目に見えないもの)と「物」(目に見えるもの)が交差する「事」をもっと研究すべきだと言っているそうなのですが、まさしく、その「事」(テキストでは、出来事)について考察されています。

 

ある出来事になぜ共感が生まれるのか、あるいはなぜ反感が生まれるのか、そのようなことも取り上げられています。

 

文学が出来事の叙述だとすれば、今回のテキストは、意外にも(!?)文学フリマの趣旨に則っているのかもしれません。(ちょっと無理がありますかね汗)

 

そんなわけで、いよいよ次週12日(日)に第2回現代思想読書会を開催いたします。引き続き、参加者募集しておりますので、ご興味ある方はぜひ一度ご参加していただければと思います!

 

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