第20回文学フリマ東京 レポート(1)ブースデコレーション③

ブースで自分の書いたものを表現する方法は様々です。
そこで進行している事態は「表現の表現」なのかもしれません。
確かに文章にはぱっと見てすぐに分かるものは少ないです。
言葉以外のものによって支えられることで届きやすくなります。
そのために敷布やポスターは有効でしょう。

しかし他にも方法はあります。

例えば「自分が影響を与えられたもの」を示すこと。
似たようなものが好きな人同士で表現を共有しあうものです。

あるいは「同じ意図で作られたもの」を見せること。
一つの作品に別の作品を寓意させるやり方です。

実際に見てみるのが手っ取り早いかもしれません。

・書籍
よく見られたのが「自分の好きな本を一緒に並べる」方法です。
確かに「あ、この人たちはこの本が好きなんだ」と意識が向きます。
同じような本を読んでるとなんだか連帯感まで持ってしまいます。
きっと本にも同じような問題系があるのだろうと期待します。
時には裏切られたりもするでしょう。良い意味でも悪い意味でも。

例えば、こんな感じです。

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読んだことのある本があると思わず本を手に取りたくなります。
私の場合、このサークルさんがまさにそれでした。

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立ち読みの後で立ち去るといったことが苦手という人もいます。
そんな人にとって既存の出版物があると手に取りやすくなります。
話も弾みます、話しかけるきっかけにもなります。

さて、以前紹介したスペイン語文学のサークルさんはこの事例に当てはまります。

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ブース向かって右側には商業誌を展示しています。
これはサークルメンバーの方が出版された書籍です。
出版物が自己紹介を兼ねています。

この他にも商業誌のみのサークルさんもあります。

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「ああ〜。こういう本が好きな作家さんかな」と思ったら……というパターンです。
こういう出店者がいらっしゃるのも文学フリマの醍醐味ですね。

・展示物

さて「本とは異なる媒体」を展示する人たちもいます。
これらは売り物ではなく、ただ展示している場合もあります。
その逆もあります。
どこか気になる展示物に出会ったら思わず足が止まります。
文学フリマはおいておいて同人誌即売会での経験の話をします。
自分の経験上、書籍よりも展示の方がある意味で精度は低いです。
内容の食い違いを感じたりすることもしばしばです。

しかし、それは表面での話です。
というよりも、自分の感度の低さをサークルの展示に責任転嫁をしているだけです。
よくよく見てみると、その細部に類似を感じられることもあります。
表現でのこだわる部分が似ている気がしてくるのです。
媒体が異なるため誤解かもしれません。
個々の事例でなければ言葉で伝えにくいのですが。
とはいえ、表現者側に話すと「思いもしなかった」という反応が返ってきます。
ですので、その辺りの僕の妄想は今回はよそに、紹介と感想を述べるのみにします。

 こちらのサークルさんの場合は……

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このように木の素材感のある展示物を用いて作品を飾り付けています。
例えば、名刺を見て頂くと「鳥」をモチーフにしていらっしゃることが見て取れます。
単に「鳥」というイメージのみであれば「飛翔」「飛行」といった連想が働きます。
この連想に対して「木」という装飾を付け加えることで連想は生き物としての鳥へと向かいます。

お次はこちら。展示であり、かつ売り物でもあります。

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ちょっと見えにくいですが、筆致の異なる2つの絵画が交錯しています。
文章の方にも複数のスタイルが共存している気がしてきます。
1人の人間、1つの集団を私たちは「1つのもの」と思いがちです。
しかし、むしろ幾重にも構成された何かを1つと擬制しているに過ぎません。
この複数のものが取り出され、どちらも、どれも美しく見えたりすることがあります。

さて、最後はこちらのサークルさん。

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所狭しと目の前に置かれている「文学」。
目移りすると同時にその視界の運動自体に快楽が生じました。
好みのテイストが展開されたとき人はその場から立ち去りがたくなりもします。
サークルとして出店する。
それは単にモノを売るということにとどまりません。
いや、もしもモノを売るだけだったとしても、その場が力を持つことがあります。
そして、この力は商売を超えた力を持ちます。
それは作り手と人とのモノを介した出会いです。
この力は私たちに声を発している何かなのです。

文学フリマに出店する。
それを単に「自分の作品を誰かに届けるプロセス」ではありません。
それだけならば技術を磨き、書店に並ぶことを目指せば良いでしょう。
「売れる=届いた」という関係は確かにあります。
しかし、文学フリマではプラスアルファで楽しむことができます。
そういう遊び方も楽しんでいただけたらと思います。

(文責・副代表)